BackTopNext

 

水たまりの中の青空

#3 波瀾の幕開け

 ツアーの参加者は男女12名ずつの24名。
全員ローマ字で書かれたネームバッジを胸につけ、バスの席は抽選で決められた。

 幸介は一番最後に乗り込んだので、必然的に残りの席に座ったが、偶然にもまた、あの女性と関わることになった。
(まさかこれは運命なのか!?)

 女性は思いつめたような眼差しでじっと外を見ている。
 幸介は気付かれぬよう、さりげなく彼女のバッジを覗きこんだ。
(N.NONAKA……野中さんっていうんだ。何かあったら名前を呼ぼう、それで思いとどませるんだ)
 彼女の様子を窺いつづけている幸介の姿は、すべて窓ガラスに映っていた。だが、そのことに幸介は気付いていなかった。

 バスの中は、隣り同士で男女の会話が花を咲かせていた。
 だが幸介と野中という女性の間には、「先程は」という挨拶以来、会話らしい会話は無かった。

幸介は勇気を出して話し掛けた。
「あのぉ、いいお天気ですね」

すると彼女は、ちらっと振り向き、また外へと目を向けた。
「梅雨が明けたというのに、今日は午後から雨だそうです」
「そうでしたか……。そういえば傘の準備を忘れたな。インターに寄ったら買うことにします」
「でも、現地は晴れだそうです。それに、インターには寄りませんよ。このまま羽田へ直行ですから」
「羽田!? 羽田ってまさか、飛行機に乗るんですか!?」
 幸介は素っ頓狂な声を出した。なぜなら、ツアーの内容を何一つ把握していなかったからだ。それに、飛行機が大の苦手だった。

(環の奴〜、なんてことを〜)
 幸介は泣きそうになりながら、ガチガチに震えた。
だが不思議なもので、こんな緊迫した中でも、早起きのためか睡魔が襲ってきた。

 そしていつの間にやら眠ってしまい、目を覚ましたのは誰かのささやき声だった。
 「う〜ん?」と寝ぼけ眼で目を明けると、さっきまでの声がピタリと止んだ。
「もう着きましたよ、田中さん」
ガイドは慌てたように、誰もいなくなったバスを出口へと移動した。

 幸介は周りを見渡すように横を向くと、ハッと息を呑んだ。
「あっ、すみませんッ!」
 なんと野中の肩に寄りかかっていたのだ。幸介は跳び上がるように彼女から離れた。

「あの、ご迷惑じゃありませんでしたか!?」
「いいえ、ちょっと重かったですけど」

冗談ぽく言った野中だったが、幸介はさらに動転した。
「すみません、あとで丁寧にお揉みしますから」
 指を動かす手が胸の位置だったことに気付き、幸介は赤面して顔を伏せた。気まずくなった野中も、外へと顔をそらした。


 飛行機の行き先は沖縄。開放的な気分でお見合いをしようというコンセプトらしい。

 機内での席は、またしても抽選だった。
今度の幸介のお相手は、桃子という、環と同い年の25才の女性だった。かわいらしい名前に反して、元プロレスラーの卵という、とてもたくましい女性だった。
 しかし飛行機が離陸してみると、意外にも彼女はビビリやさんで、お互い高所恐怖症の話が盛り上がった。
 と突然、二人の間にデジタルカメラが割り込んできた。さっきのガイドの女性だ。どうやら彼女は雑誌社の人間らしい。
「はい、バター」とつまらない掛け声をかけられ、幸介と桃子は引きつった笑顔でピースした。

 幸介の斜め前の席には野中が座っていた。相手はホスト風の日に焼けたスーツ姿の男で、二人はとても気が合っていた。幸介は楽しげな彼女を見るたび、なぜか胸が痛んだ。

 そして着陸体勢のため、歩いてきたキャビンアテンダントに振り向いた野中と、同じく通路に目をやった幸介と、偶然二人の視線が交わった。
 だが野中は幸介を避けるように、冷たく目線をそらした。
 嫌われてると感じた幸介は、これ以上関われないと感じ始めた。


 沖縄はもう真夏のような暑さだった。初日は那覇市内などを見学したあと、ホテルの庭でバーベキュー大会が行われた。
 参加者全員の自己紹介が済むと、早速フリータイムに突入した。

 幸介は慣れない緊張から、人の輪から離れるようにプール沿いを歩きはじめた。
 肉や野菜を楽しそうに焼く参加者たち、ビールを飲みながら立ち話をするカップル、そして、必死に肉にかじりつく桃子。幸介はときどき振り返りながら、それらを孤独に眺めた。

 そしてもう一人、腰に手を回され、あのホスト風の男とヒソヒソ話している野中という女性。
(あんな軽そうな男と……どうせまた泣かされて――)
 このとき、幸介の脳裏に公園での出来事が思い返された。
 彼女を傷つけたくない。だからここまで来たんじゃないのか。もう引き返せない――。

 幸介は気づかれぬよう、野中と相手の男を見張り始めた。ときどき参加者の女性から声をかけられたが、その間も彼女のことが気がかりで何度も振り返った。

 すると野中は何やら男に耳打ちし、一人で建物のほうへと歩き出した。
 幸介は落ち着かなかったが、尾行するのは気がとがめた。
 だが相手の男が後を追うように動き出すと、幸介は我を忘れて野中のあとを追った。

 建物の角に差し掛かると、野中は隠れるように早足に裏へと回り込んだ。
 幸介は密会現場をキャッチできたと勇んで行くと、驚きと衝撃で息を呑んだ。

 「どうして私を監視してるの?」
 そこには幸介を睨み付ける野中の姿があった。一人になったのは、幸介をおびき出す罠だったのだ。
 幸介は何も言えなかった。
「バスの中でも見てたでしょ。飛行機の中でも……」
「……すみませんでした……ただ、あなたが心配で……」
「心配?」
 そのとき、すごい勢いで桃子が飛び込んできた。
「ちょっとあんた、なんか怪しいと思ったら、ストーカーだったのね。許せない、女を何だと思ってるのよ!」

 桃子は幸介をグイグイと引っ張りだすと、庭のプールへと突き落とした。
「キャー!!」
 バーベキュー会場は騒然となった。

 (これで涙が隠せるかな――?)

BackTopNext