#4 眠れない夜
幸介はその夜、早々とベッドに潜りこんだ。
「君は彼女に悪いことをしたのですか?」
同室の大学助教授、林田がベッド脇に立って問い掛けた。
だが幸介は寝返りをうったまま黙っている。
「誤解なら、きっと解けるはずです。話すなら早いほうがいい、傷が深まらないうちに」
「傷……癒せるでしょうか……」
幸介がくぐもった声で尋ねた。
「彼女のですか?」
林田が聞き返すと、幸介は半身起きあがって言った。
「僕は、彼女を守りたかったんです。でも……逆に傷つけました。もう、会う資格はありません」
幸介は布団をぎゅっと握り締めた。
「残念ですね、せっかく縁あって知り合えたというのに。だが、私なら信じますね、彼女のことを。では明日も早いですから、おやすみなさい」
そう言って林田は寝床についた。
(信じる……? 彼女を?)
幸介は寝付けないまま、ホテルの庭へ出た。プールはライトアップされ、幻想的な雰囲気に包まれていた。
幸介はプールサイドに腰を下ろすと、握り締めていたお守りにそっと目を向けた。
(ごめんな、せっかく……)
そう言いうと、幸介の目から自然と涙が溢れてきた。それを隠すように夜空を見上げると、近づいてくる一つの人影に気づいた。
(誰だ……こんな時間に……)
相手の顔は暗くて見えなかったが、相手は幸介だと分かっているようだった。
(まさか……)
幸介は逃げ出したくなったが、体がいうことを利かない。
「ここに居て、風邪ひかない?」
相手の顔がはっきりと照明で映し出された。それは、今一番会いたくない人だった。
「――大丈夫です」
幸介はプールに向かって答えた。
「あれからずっと考えてたの……あなたのことを」
相手は、さらに幸介に近づこうとした。
「来ないでください、野中さん!」
相手の足がピタリと止まった。
幸介は伏目がちに立ち上がり、野中と向き合った。
「僕が余計なことをしたばっかりに、あなたを傷つけてしまいました。本当に申し訳ありません」
頭を下げた幸介に、野中は何か言いたげに首を横に振った。
「あなた、前から私のことを知っていたの?」
黙って頷いく幸介に、野中は言葉を失った。彼を信じたかったが、やはり無関係ではなかった。
「一体あなたは誰?」
責めるような野中の視線に、幸介は答えた。
「公園で、鳩に餌をやってた男です」
野中は困惑した。
「鳩……?」
何のことだかすぐには分からなかったが、公園といわれてハッと気づいた。
「じゃあ、あのときの……」
「はい、聞くつもりは無かったんです。でも、偶然あなたが泣いているのを聞いてしまって。だから、あなたが自棄を起こすんじゃないかと……」
野中は自分を責めた。自分の方こそ、彼の善意を傷つけてしまったのだ。
「何も知らなくて私……本当にごめんなさい」
動揺している彼女を見て、幸介は林田の言葉を思い出した。
(信じる……もしかして彼女は、誤解だと確かめたくてここへ……)
ホテルの部屋の明かりも淋しくなってきた頃、二人はプールサイドに並んで座っていた。
「そういえばまだ、名前を言ってなかったわね」
「あ、そうですね。僕は、田中幸介っていいます」
「私は野中奈津です、どうぞよろしく」
奈津の表情に笑顔がこぼれると、幸介は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。鼓動が激しくなり、体が震えた。肌から伝わるぬくもり、優しい彼女の香り。押さえていた感情が一気に湧き上がるのが分かった。
幸介は息苦しくなり、思わず立ち上がった。
「もう夜も遅いですから、部屋まで送ります」
そんな幸介を微笑ましく思いながら、奈津は優しく微笑みかけた。
「じゃあ、また明日」
(環、これって夢じゃないよな?)
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