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水たまりの中の青空

#20 それぞれの思い

 幸介はベッドに横たわり、薄暗い部屋の天井を見つめながら、物思いにふけっていた。

 帰り道、静香が言った。
 「私の顔、覚えてくれました?」 と。
 笑顔で聞かれたので、幸介は誘惑されるのかと身構えたが、それは静香の皮肉だった。
 初めて師範の家で会ったとき、幸介は緊張から静香の顔を見れなかった。それを彼女は、意地悪と受け取ったのだ。
 その仕返しに、今回の悪戯を思いついたと彼女は笑った。
 幸介はからかわれていたと知り、頭の中が真っ白になった。
 なのに、突然静香が幸介の胸の中に飛び込んできた。

 (えっ!? これも悪戯なのか?)

 幸介は混乱した。

「叔父さんが言ってた通りだった。幸介は好青年だって、いつも自慢してたから……。だから私、自分で確かめたくて」

 幸介は戸惑った。
 ふと、このまま彼女を抱きしめようと思った――だが、手が動かない。それは、抱きしめたい相手が、ほかにいることを知っていたからだ。

 本当に抱きしめたい人――

 幸介の胸が痛んだ。

 静香への辛い気持ちと、そして――終わった想い。

 その痛みは、帰ってもなお続いていた。

 過去にいくつか恋愛もしてきた。が、いつも振られた。
 いつしか彼女なんて要らないと思うようになった。そして、相手に望むこともやめた。
 なのに、どうして今頃こんな気持ちになるんだ。
 幸介は悔しそうに、何度も自分の顔を枕で叩いた。

 心配で覗きに来ていた環は、声をかけず、そっとドアを閉めた。


 奈津が夕飯のミネストローネを作っていると、携帯のベルが鳴った。
 その着信音は、明彦の携帯だった。奈津は振りかえり、身を乗り出した。

 (明彦――!)

 だが、一歩踏み出したところで、足が止まった。
 鳴り続ける着信音。それをを聞きながら、奈津はその場に崩れ落ちた。

 (会いたい……)

 いつでも会える人ではなかった。いつでも自分だけを見てくれる人ではなかった。なのに、失った淋しさは、これほどまでに自分を弱くし、苦しめるのかと、奈津は初めて知った。

 明日、会社に辞表を出しに行く。
 もしかしたら、彼にバッタリ会うかもしれない。そのとき、自分はどうなってしまうのか――不安だった。

 (もう忘れたんじゃなかったの?)

 奈津は自分に言い聞かせるように、ぐっと瞳を閉じた。


 「誰に電話してたの?」

 社長室の明彦のもとへ、嗅ぎ付けたように近子が現れた。
「また君か……君には関係ないだろ」
「奈津ね。誰だろうと関係ないけど、彼女だけは別。そんなにあなたが忘れられないなら、奈津に忘れてもらうしかないわね。私って意外と嫉妬深いの、あなたと同じで」
 近子の真剣な目に、明彦の背筋が凍った。

「言っとくが、何があっても君とだけは付き合わない」
「どうかしら。奈津はああ見えて、結構もろい人よ。彼女が崩れたとき、あなたに支えられる? 相手を利用しても、自分を決して犠牲にしないあなたに」
「……」
「きっとあなたは、また私の元へ戻ってくる。あなたを一番理解できるのは、私だけなんだから」
 近子は捨て台詞を残し、睨み付けるように部屋を出た。
 明彦はしばらく天を仰ぐと、険しい顔で携帯の電源を切った。

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