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水たまりの中の青空

#22 束の間の再会

 幸介は高鳴る胸を押さえ、必死で奈津を追いかけた。

 (この先に奈津さんがいる!)

 やつれて見えた彼女に、何があったのだろう。
 もしかしたら、嫌われて口を利いてはくれないかも知れない。
 それでも幸介は、会えた偶然に感謝していた。

 段々と奈津の足音が近づいてくる。しかしその足取りは頼りなく、幸介を不安にさせた。
 そして足音は力尽きたように、一つ下の階で止まった。
 幸介は心配で数段飛ばしで駆け下りると、しゃがみ込んだ奈津を見つけ手を差し伸べた。

「大丈夫ですか?」

 だが奈津は目を合わせようとはしない。

「ほっといて、私なら大丈夫だから」

 奈津はふらふらと立ち上がると、おぼつかない足取りでまた歩き出した。

「無理しないでください、僕につかまって」
「仕事は? 早く戻らないと」

 それでも幸介は奈津から手を離さなかった。と、そのとき、幸介はある匂いに気づいた。

「お酒?」

 ふと漏らした幸介の言葉に、奈津はうろたえたように口元を押えた。

「二日酔いなの……昨日、飲みすぎて」
「そうだったんですか、じゃあ、ゆっくり行きましょう。僕も足がガクガクで」
「お願い――私には構わないで」
「あの……迷惑ですか?」
 寂しそうな幸介に、奈津は困惑の表情を浮かべた。

「そうじゃないわ――ただ、幸介さんとはもう、会いたくないの」

 激震が幸介を襲った。恐れていた言葉が現実となり、絶望のどん底に突き落とされた。それでも自業自得と割り切りたかったが、実際はうまく行かなかった。

「婚約発表のとき、僕のせいで迷惑をかけたこと、本当に申し訳ありませんでした。でも、僕は奈津さんのこと――」
「幸介さん、もうそのことなら忘れて。私も、昔のことは全部忘れたいの、沖縄旅行のことも……」

 幸介は目の前が真っ暗になった。
 奈津が沖縄旅行の思い出を、すべて消し去ろうとしている。
 「どうして?!」と叫びたかった。
 だが辛そうに俯いている彼女を見ると、口に出しては言えなかった。

 とそのとき 「おーい」という男の声が階段に響いた。
 二人の声を耳にしたエレベーターの作業員が、点検の終了を知らせてきたのだ。

 幸介はこのまま奈津を抱きしめ、離さずにいられたら――と何度も思った。だが、それは独り善がりだと自分を責め、すべてを封印する決心をした。

 さようなら――

 そう口から漏れた瞬間、幸介の体から力が抜けた。そして、作り笑顔を浮かべると、ひとり弱々しい足取りで階段を下り始めた。

 奈津は痛いほど幸介の気持ちに気づいていた。
 だが彼の優しさにつけ込み、今の淋しさを紛らわせたくはなかった。でも――

 もし彼と普通に出会えてたら――

 と頭を過ぎり、奈津は自分の気持ちに戸惑った。


 それからだいぶ経ったある日、幸介と環のもとに北海道の両親から手紙が届いた。
 町内の親睦会で、東京まで旅行に来るというのだ。

「みんなで豪華客船にでも乗って食事しよう、だってさ、どうする?」

 環の問いかけに、幸介は顔をしかめた。

「幸介の恋人も一緒に、って書いてあるけど、どういう意味だろうな」
「あ、ごめん。お見合いツアーで好きな人ができたみたいだって、前に言っちゃったんだ」
「お前、どうしてそんな余計なことを。完全に誤解されてるじゃないか」
「そうみたいね。付き合ってるとは言わなかったのに、今からふられたって言おうか」 

 環の冗談に、幸介が呆れ顔で睨んだ。
 「だよね」と環は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

「まあ、何とかごまかすさ。でなきゃ、戻って来いってうるさいからな」
「ねえ、静香さんは? あの後……どうなったの?」

 幸介は突然出てきた名前に、ドキッとした。
 静香とはあれ以来、まったく連絡を取っていなかった。何となく、気まずかったのだ。

「静香さんのことは、もう言うな。兄ちゃん、ふられたんだから」

 幸介は環と目を合わさず、はっきり嘘をついた。
 だが騙されたと知らない環は、またか……と兄に同情した。

「ねえ、駅前に占いの館がオープンしたの知ってる? 今度二人で見てもらいに行こうよ」

 女性が好きそうな話題だなあと幸介は思った。それにもれず、妹までが飛びつくとは、なんとも情けなかった。

「興味ないな、占いなんて。それに、占ってもらったらすぐに恋人が出来るのか?」
「じゃなくて、占いの結果を親たちに伝えるの。きっと出るよ、東京に出て来たことは間違いじゃないって」

 幸介はもう、何も言い返す気になれなかった。

「馬鹿にしてるんだ。でも試してもみないでケチつけるのはフェアーじゃないよ。それに、悩みごとも聞いてくれるみたいだし、いい解決法が見つかるかもよ」

 幸介は納得できなかったが、妹の気休めになればと、仕方なく一緒に行く約束をした。

 (東京に出たことは間違いじゃない……か。そう出ればいいな、環)

 

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