水たまりの中の青空
#26 約束 ここは夜間も開業している総合病院らしく、待合室には数人の人が居た。 結局ロビーで奈津本人に書いてもらい、あえて中身を見ないまま提出した。 二人は診療室の前まで移動すると、長イスに少し離れて座った。幸介が遠慮したのだ。 「連絡、妹さんに」 心配している奈津に、幸介の胸がキリッと痛んだ。そして、静香に対しても。 静香は幸介が帰ったらしいと同僚に伝え、険しい表情でワインを飲んだ。同僚はあえて事情を詮索せず、お互い腹の探りあいで、これ以上話題にするのは止めた。 幸介は開口一番、「申し訳ありません」と謝った。彼らしい態度だった。でも女の影がちらつく幸介に、静香は誠実さなど感じなかった。 「今どちらですか?」 幸介の反応を窺うと、答えは意外なものだった。トイレで男と喧嘩して、殴られて病院にいると言うのだ。男と言われ、静香は真っ先に話し掛けてきた男性を思い出した。相手があの男だとすれば、女と一緒だったというのは狂言かもしれない。 「今、一人ですか?」 「はい」という返事が戻ってきて、静香は内心ホッとした。そしてまた会える口実が出来て嬉しかった。遊びだったつもりが、いつの間にか本気になっている。静香はそんな自分の気持ちに、まだ気づいていない。 静香は疑うことなく許してくれた。幸介に後悔は無かったが、やはり罪悪感は拭えなかった。 ロビーに戻ると、奈津の姿が無い。 (診察室に入ったのかな?) 思った通り、診察室の前には香水と酒の匂いが残っていた。 しばらくして忙しそうに出てきた看護婦に聞くと、奈津は点滴をして眠っているとのことだった。 「どうぞ、目が覚めましたよ」 看護婦に呼ばれ、幸介は立ち上がった。だが、入っていいのか迷っていると、看護婦が優しく微笑んだ。 「会いたがってますよ、彼女」 診察室の脇のベッドで、奈津が横になっていた。 「座って」 遠慮して近づこうとしない幸介に、奈津は目で隣に来て欲しいと合図した。幸介は緊張しながら、ベッド脇の丸イスに腰掛けた。 「ごめんなさい……心配掛けて」 派手な化粧の中に、優しかった奈津の面影が戻っていた。幸介の目頭が熱くなった。 「もう、痛くありませんか?」 「ありがとう……いつも助けてくれて」 奈津は天井を見上げると、そっと目を閉じた。 「私も同じ……どうしても忘れられなかった、あなたのことが」 そのとき彼女の目から涙がこぼれた。 しばらく安静にしていた奈津を連れ、幸介は病院を出た。外はすっかり静まり返り、二人は呼んだタクシーが来るのを肩を寄せて待った。 医者からは、検査入院することを勧められた。奈津はアルコール依存症と診断されたのだ。だから酒を抜くためにも、一人にさせない環境が必要だった。だが一人暮らしの奈津は、入院準備のため一旦帰宅することになった。 「本当に一人で大丈夫ですか? よければ、今日は僕のうちで」 それでも心配している幸介に、奈津が小指を出した。 「指切り」 奈津は幸介のためにも、立ち直りたいと思った。 「じゃあ、また明日ここで」 落ち葉が佇む寒空の下、二人の周りだけはぬくもりに満ちていた。 |