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水たまりの中の青空

#31 苦渋の選択

 幸介と会った翌日、奈津をマンションの前で待ち構えている男性がいた。彼は奈津がタクシーから降りると、待機していた車から降り背後から近づいた。

「最近付き合い悪いよな」

 突然男に呼び止められ、奈津は恐怖で立ち止まった。が、その言葉に心当たりを感じた奈津は、まさか?という思いで振り返った。やはりそこに居たのは、スーツ姿の晋也だった。

 奈津は動揺した声で 「何の用?」と連れない態度を取ったが、晋也は動じずニヤリと笑みを浮かべた。

「自分の女に会いに来るのに、理由なんていらないだろ?」
「やめて、もう会わないと言ったはずよ」
 奈津は突き放すようにマンションへ走り出すと、晋也があとを追ってその肩を掴んだ。

「あんたは俺を束縛したんだぜ。一度くらい俺の自由にさせてくれてもいいんじゃないか?」
「え?」

 電話ではおとなしく別れ話を聞いていた晋也だったが、本当は諦めていなかったのだ。奈津は困惑気味に顔をしかめた。

「へえ、まだ酒飲んでたんだ。噂じゃ新しい男のために禁酒したって聞いたけど」
「あなたには関係ないわ」
「関係あるね。どうせ新しい男ってあの幸介って野郎だろ。このままこけにされて黙ってられるかよ」

 奈津は幸介に危害が及ぶことを恐れ、晋也を睨みつけた。

「何だよその目は。一体アイツは何なんだ? あの男に抱かれたか!?」
「やめてッ」

 深夜の住宅街に、晋也と奈津の声が響き渡った。

「目の前の苦痛から逃げるためにあんたは俺を利用したんだ。だから俺もあんたを利用する」
「どういう意味?」
「今度の土曜、俺と付き合えよ。そしたらキレイさっぱり忘れてやる。いいだろ?」 

 奈津は「嫌だ」とは言えなかった。こじれたのは自分の弱さが原因であり、ちゃんとケジメをつける必要があった。
 幸介を裏切りたくはなかったが、奈津は晋也と和解することを選んだ。

「分かった……あなたと付き合うわ」


 翌日、幸介は仕事を終えると、手土産を持って師範宅に伺った。

 師範とその妻は、昨夜泊まった環のお礼に来た幸介を、快く招き入れ夕飯まで振舞った。
 幸介は恐縮しながらご馳走になると、年越しの挨拶を済ませ、ほろ酔い気分でお宅をあとにした。

 本当は静香にも会いたかったが、彼女はまだ帰宅していないとのことだった。今は師範宅で下宿中で、今夜は会社の飲み会で門限を過ぎると連絡があったらしい。

 幸介は諦めて帰っていると、一台の停車中の車が目に入った。驚いたことに、助手席に静香が乗っていて、若い男性と楽しげに話している。幸介は見てはいけないものを見た気がして、慌てて電柱に隠れた。

 静香は名残惜しそうに車から降りると、彼の車が見えなくなるまで手を振り見送った。
 幸介は自分の道化ぶりに穴があったら入りたい気分になったが、電柱の通り際、静香に気づかれた。

「何やってるんですか!? こんなとこで」

 目を丸くしている静香に、幸介は苦笑した。

「先日はご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした。直接、お詫びが言いたくて……」

 静香は呆れたように幸介を見た。
「ほんと幸介さんにはガッカリしました。何もかも環さん経由なんですもの……。ところであの日、一緒に帰った女性って彼女だったんですか?」
「え!? とんでもない! でも、どうしてそのことを?」

 からかうつもりが、予想外の答えに静香は困惑した。知らない男から幸介が女性と一緒だったと聞かされたが、単なる男の狂言だと思っていたのに、本当に女性と一緒だったことがショックだった。

「化粧室の前で探してたら、男の人に声をかけられて……」
「そうでしたか……騙したりしてすみませんでした」

 幸介は自分がついてた嘘に、改めて気づかされた。静香や間に入った環に不快感を与えてしまい、大変申し訳ない気持ちになった。
 そしてもう一人――
 静香が会ったという男性があのシンヤなら、奈津の耳にも静香の話はされたはずだ。

 傷つけたくない、気を使わせたくない――そう思ったのに、みんなに迷惑をかけてしまった。幸介は浅はかな自分を責めた。

「幸介さん、途中で帰った罰として、今度私とデートしてくださいますよね」
「え!?」
 幸介は驚いて聞き返した。さっきの車の男性はいいのか?
「誤解しているみたいですけど、さっき送ってくれた人は会社の先輩ですから」
「そうですか……」
 まるで心の中を見られたようで、幸介は恥ずかしくなった。だが 「デートはできない」という気持ちまでは読み取ってもらえないらしい。ここで引き受ければまた堂堂巡りであり――幸介は苦しみながら意を決した。

「申し訳ありません。僕は不器用な人間ですから、今はほかの女性のことは考えられないんです。だから静香さんと二人で会うのは、これで最後にさせてください」

 静香は膨れっ面になり 「やっぱり好きな人がいるんですね、ひどい人」
 と、プイッと背を向け怒った足取りで去っていった。
 その後ろ姿に深々と頭を下げながら、幸介は悲しくなった。

 人を裏切るなんて、もうしたくない――。

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