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水たまりの中の青空

#10 危険なささやき

 雑誌の発売日の数日後――

 幸介は唐突に林田から飲みに誘われた。
 それは励ましの誘いに違いなかったが、幸介は遠慮がちに林田の好意に甘えた。

 幸介が約束の小料理屋に到着すると、カウンター席から林田が、よお! と手を上げて迎えた。

 「どうしたんですか林田さん、その不精ひげは?」
 「いやあ、ツアー前に剃ってたんだがね、どうも落ちつかんで、またこうして伸ばしてるんだよ」
 林田が撫でている髭の長さに、幸介は月日の流れを感じた。

 早速二人は乾杯すると、あれこれ思い出話に花を咲かせた。
 だが、幸介は避けられない奈津の存在を意識するたび、やり切れない思いになった。
(奈津さんにとって、あの時の思い出は無にも等しかったのだろうか……?)

 「野中さんのことを考えてるんですか?」
 突然黙り込んだ幸介を見て、林田が言った。
「僕ってどうしようもないバカですね。独り善がりな幻想を抱いて……。でも、もう忘れました」
 幸介は明るく振舞い、一気にビールを飲み干した。
「そんなことはありませんよ」
 ポツリと林田が言った。
 幸介は、え? という表情で林田を見た。
「確かにあの記事は、興味本意なものでした。でも、その反面、君への愛情も感じた」
 幸介は耳を疑った。
 途中で読み捨てたとはいえ、自分をゴシップネタにされたのは事実だった。
「きっと最初にあの記事を書いたのは、野中奈津さんだった筈です」

 ――奈津さんが!?

 「彼女は主催者側の人間だったんです。そして君と妹さんの兄妹愛や、一人の女性を見守りつづけた青年の話を記事にしよとした。だが、最後に泉さんの原稿に差し替えられ、野中さんしか知り得ない部分だけが、そのままの形で残された。まあ、あくまで私の推測ですが……。プールで君が突き飛ばされた経緯は、桃子君が泉さんに喋ったようです。ストーカー呼ばわりされて、君には大変申し訳無いと、しきりに謝ってました」

 幸介は何も言えず、ただ呆然としていた。

 「無人島で野中さんの真実に気づいたとき、君に言うべきだったのかも知れない。だが、彼女が隠そうとしている背景に、君への想いがあるのだとしたら、私がでしゃばるべきではないと思ったんだ」

 彼女も傷ついているのかも知れない。
 幸介は、ただ切ない思いで聞いていた――。


 その翌日、意外な人物から電話があった。

「ねえ、ちょっと付き合ってくれない?」
 それは泉近子だった。
 幸介は記事の件もあり素っ気無く断ると、彼女はフンッと鼻で笑い、突然真剣な口調で言った。
「奈津を不幸にしていいの?」

 幸介は驚いた。
「どういうことですか!?」

 結局、幸介は事情を知るため、泉と会うことにした。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 「記事のこと怒ってるみたいね。でも、私も仕事柄仕方なかったのよ」
 泉はタバコに火をつけながら白々しく言った。
「それより、奈津さんに何があったんですか?」
 幸介は勤めて冷静を装った。

「その前に、あの記事の裏側を知りたくない?」
 幸介はムっとしたように泉を睨んだ。
「大体察してるみたいね。――でも、一つだけ言っておくわ。もともとあのツアーは強姦の実態を探るのが目的だったの。潜入取材を指示したのは赤堀、オトリ役になったのが奈津」
「オトリ!?」
「でも、奈津は土壇場で記事の差し替えをした。自分が襲われたことを隠そうとしたのよ。だから担当を外された」
「――!?」
「仕事のためなら手段を選ばない。そういう男よ、赤堀って」
「――何が言いたいんですか?」
「来週、二人は出版パーティーで婚約発表をするわ」
 泉は話し終えると、幸介の反応を窺うようにゆっくりとタバコをふかした。
 そして、驚きとショックで肩を落としている幸介を見て、ニヤリと笑った。

「あなた、二人の婚約を阻止したいと思わない? 所詮あの二人は水が合わないのよ。それなのに結婚しようだなんて」
 泉は言葉の端に、奈津への憎しみを浮かばせた。

「阻止するって、僕たちにそんな権利は無いはずです」
「そうかしら。好き人を奪いたいと思うのは当然でしょ」
 無茶苦茶だ、と幸介は思った。
「ねえ、私と手を組まない?」
 幸介は呆れて席を立つと、伝票に手を伸ばした。
 すると、泉がその手を止めた。
「あなた、奈津が泣くところを見たくないでしょ」
 幸介の脳裏に、公園での出来事が蘇った。

  ――もう、彼女を悲しませたくない。

 幸介は思いつめたように泉を見ると、再び席に付いた。
「僕に、どうしろと言うんですか?」
 泉はニヤッと笑った。
「私の彼氏になって欲しいの」
 幸介は激しく動揺した。が、堅い表情を崩さぬまま、黙って頷いた。

(奈津さんを守れるなら、嘘だって……)

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