BackTopNext

 

水たまりの中の青空

#13 作戦のはじまり

 幸介は泉近子に呼び戻され、先程の人気の無いスペースで落ち合った。

「どうしたのよ、その格好」
「垣根を飛び越え損ねて」
 幸介は息を切らせながら、スーツについた草や葉を慌しく払い落とした。
「やっぱり奈津が好きなのね」
「え?」
 幸介は近子の不意打ちにドギマギした。確かに奈津を見た瞬間、息が苦しくなるほど意識した。
「もう大丈夫」
 幸介の背中の汚れを払うと、近子はパンパンと手を叩いて壁にもたれ掛かった。
 ありがとうございますと幸介は礼を言い、ズボンからハンカチを取り出し汗を拭った。

「あなた、奈津の前で嘘をつくのは無理ね」
 近子が冷めた口調で言った。
 言い当てられた幸介は、ドキッとして近子を見た。
「奈津とは口を利かない、それぐらいなら出来るでしょ。さあ、そろそろ奈津が会場入りした頃よ、行きましょ」

 近子は一人で喋り捲り、さっさと歩き出した。
 彼女のペースに乗せられっぱなしの幸介は、仕方なく後をついて会場へ向かった。


 パーティーは立食で、招待客や赤堀の出版社の従業員ら100人近くが集まっていた。男女ともスーツ姿が目立つ地味な雰囲気だったが、舞台上は豪華な花や金屏風で鮮やかだった。

(そういえば泉さんは紺で、奈津さんも白のスーツだったな……)
 幸介は赤堀と奈津の関係も、きっと大人の落ち着いた雰囲気なのだろうと想像した。

「ラッキーね。編集長と奈津が一緒だわ」
 近子の目線を辿ると、仲良く料理をよそっている二人の姿があった。
 その仲むつまじいツーショットに、幸介の足が急に動かなくなった。
「どうしたの、行くわよ」
 突っ立ったままの幸介を見て、近子が急かすように言った。
 だが幸介は、二人の様子に完全に決意を砕かれていた。
「あなたが見ているのは表面的な二人、気にすることは無いわ。あなたは黙って料理でも食べてればいいの」
「波風立てることが、本当に得策なんでしょうか……」
 沈んだ声で幸介が言った。
 すると近子の表情が変わった。

「ねえお願い、あなたに絶対後悔はさせないわ。だから合図するまで黙って見てて。これが本心を確かめる最後のチャンスかも知れないのよ」
 初めて見せる、近子の女性としての一面だった。
 彼女も、本気で赤堀さんを愛しているのかもしれない――。


「奈津、指輪はどうした?」
「あなたに嵌めてもらおうと思って、つけずに持ってきたの」
 奈津は、チラッとバッグを見た。
「本当は後悔してるとか」
「まさか。あなたはどうなの? こんなに人を呼んで、本当にこの席で発表するつもり?」
「当然だろ。こういう席だからこそ、君を紹介したいんだ。これからも宜しくな、奈津」
「明彦……」
 赤堀がグラスを差し出すると、それに奈津がグラスを合わせた。
「ここから新しい一ページが始まるのね、私たちの」
「そうだな。まず、君の薬指に婚約指輪を嵌める。そして、今夜はスイートルームで美しい夜景を眺める」
「部屋、取ったの?」
「明日、一緒に朝食を食べようと思って」
「ありがとう……、でもちょっと残念。最初の朝は私の手料理で迎えたかったのに」
「それは結婚式の後でいいさ」
「そうね。じゃあ、楽しみはお預け」

 「編集長、こちらにいらしたんですか?」
 突然の女性の呼びかけに、赤堀と奈津は同時に振り向いた。そして声の主が近子だと分かると、奈津の表情が瞬時に曇った。
「なんだ泉くんか、楽しんでるかい?」
 赤堀の社交辞令に、近子は含み笑いを返した。
「ええ、とっても。今日は彼氏も一緒ですから」
 近子はそう言うと、料理の並んだテーブルのある部分を見つめた。
「幸介さん、こっち」
 意外な名前に、赤堀と奈津は衝撃を受けた。

 幸介は料理を取る手を止め、近子の方へと歩いて来た。
「お久しぶりです。この度は、ご出版おめでとうございます」
 幸介が頭を下げると、赤堀がフンっと鼻で笑った。
「君が彼氏?」
「おかしいですか? 私だってたまには誠実な男性に惹かれるんですよ」
 そんな近子に不信感を抱きながら、奈津は幸介に目をやった。

「いつから付き合ってるの?」
 抑揚を押さえた声で奈津が聞いた。
「それは――」
 幸介が反射的に答えようとすると、強引に近子が引き継いだ。
「あの雑誌の発売後よ。彼は全てを知った上で、私に交際を申し込んだの、ね」
 近子は幸介の腕に甘えるように掴まった。
 そんな二人を、奈津が怪訝そうに見つめる。
「て、照れるだろ。そういうのは、二人の時にしろよ」
 こそばゆそうにもがいている幸介に、奈津はショックを隠しきれず目をそらした。
 近子はそんな彼女の動揺を見抜き、タイミングを見計らったように言った。

「ねえ、私たちもそろそろ食事にしない? お腹空いちゃった」
「うん。じゃあ一緒に選ぼう」
 幸介はようやく食べ物にあり付けると思い、テンションが上がった。
「それでは、失礼します」
 近子は編集長たちに会釈すると、幸介の腕を握って仲良さそうに立ち去った。

「このまま部屋を出て」
 近子が幸介に耳打ちした。

BackTopNext