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水たまりの中の青空

#14 思わぬ行方

 幸介は後ろめたい気持ちで会場を出ると、半信半疑で奈津が来るのを待った。
 だが追ってくる気配は全く無く、静まり返った空気はかえって幸介の気持ちを軽くした。

(確かにいい男だもんな……その方が幸せだよ)

 グ〜ゥ。

(ああ、お腹空いた……せめてフカヒレだけでも食べればよかった)
 楽しみをあとまで取っておく性格を、幸介は少し恨んだ。

 そしてあてもなくエレベーターホールに辿りつくと、丁度エレベーターが上から下りてくるところだった。
 タイミングのいいこと――皮肉っぽく溜息をついたとき、幸介の耳に微かな足音が聞こえてきた。

 まさか――ふと奈津の顔が浮かんだが、幸介はすぐに否定した。

 チンとチャイムが鳴りエレベーターが到着すると、幸介は重い足取りで乗り込んだ。

 「幸介さん!」

 幸介の体がビクンっと跳ね上がった。奈津の声だ。
 とっさに開くのボタンを押すと、近づいてくる足音にドキドキしながら耳をすませた。
 そして荒い息と共に、肩で大きく息をしている奈津が現れた。

  「二人きりで話しがしたいの、いい?」

  とっさのことで舞い上がった幸介は、つい押していたボタンを離してしまった。

 ――あっ!

 二人の声が重なった。

 次の瞬間、閉まりはじめたエレベーターに奈津が飛び乗った。
 扉は閉まり、階数ボタンを押してないエレベーターはそのままの状態で停止した。

 奈津は幸介に向き合ったまま壁に寄りかかると、気を静めるように一つ息を吐いた。
 すると幸介は、息苦しさから一つ咳払いした。

 ――そのとき、二人の目が合った。

 「幸介さん、あの記事のこと、本当にごめんなさい。私の不注意で、またあなたを傷つけて――」
 奈津がさらに続けようとすると、幸介は言葉を遮るように首を横に振った。

 「もういいんです、そのことなら。僕の中では、今でも楽しかった思い出のままだから」

 幸介の変わらぬ優しさに、奈津は胸を詰まらせた。

(彼の笑顔に、私は何が答えられるの――?)


 赤堀はこれから行う挨拶のため、舞台袖でスタンバイしていた。
 だが肝心の奈津は化粧室へ行くと言ったまま戻って来ず、それが幸介との疑念を生みだし、苛立ちを募らせていた。
 畜生っと赤堀がテーブルに拳を叩きつけると、背後で腕組みをした近子がフフフと声をあげた。

「どうして君が? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「用件を済ませたらすぐに出て行きます」
 赤堀は取り合わずそっぽを向いた。

 「メディアパーソナルの社長が来てんですね。奈津は知ってるんですか? 」
 赤堀の目の色が変わった。
 近子はそれを見逃さなかった。

 「奈津は反対なんでしょ、子会社化の話。それで彼女の恋心を手玉にとって束縛しようとしたんですか? 自尊心を満たすためなら、何でもするんですね」
 赤堀は馬鹿馬鹿しいといった風に笑った。
 「君こそあの男を使って奈津を誘惑させたのか? 婚約まで嗅ぎつけて、君も相当しつこいな」
 すると、近子は嘲笑うように反論した。
 「追ったのは奈津の方ですよ。それに、誘惑しなくてもあの二人は惹かれ合うわ。私とあなたが愛し合ったようにね」

 赤堀の顔が引きつった。


 エレベーターでは、お互いを意識しながら長い沈黙が続いていた。

「ねえ、一つ聞いていい?」
 静けさの中、奈津の声が響いた。
「何ですか?」
 嘘をつき通す自信の無い幸介は、たどたどしい声で答えた。
「髪を染めたのは、近子の趣味?」

 幸介は絶体絶命の危機に立たされた気分だった。それは近子の名前が出たからだ。
 本当は近子にイメチェンしてきてと言われ、自分で考えて染めたものだった。だから彼女の趣味かは分からない。

「変ですか? 近子さんに喜んでもらおうと思ったんですが」
 しどろもどろで答えると、奈津が慌てて否定した。
「そうじゃないの。近子なら、きっと気に入ったと思うわ。ただ……ううん、何でもない」

 幸介は、奈津の言い掛けた言葉が気になった。
 だが、お互い言いたい事を押し殺していた。

「私、行かなきゃ」

 奈津が降りようとすると、突然エレベーターが動き出した。

 あっ……と、また二人が声を揃えた。

 エレベーターは下へと移動し、幸介が慌てて元の階のボタンを押した。
 そのとき、ガタガタと小刻みな音と共に震えだし、ガクンという大きな衝撃でエレベータが停止した。

 「キャッ」
 二人が床に倒された。

 「大丈夫ですか!」
 「ええ、大丈夫」

 今度は激しく揺れ始め、照明は突然消え、中が真っ暗闇になった。

 二人は倒されままの状態で、この事態をじっと見守った。
 そして揺れが収まったころ、非常灯が点滅した。

「奈津さん!」

 幸介が抱きかかえると、奈津の体が震えていた。

 薄暗い照明の中、不気味な静けさが二人を覆った。

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