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水たまりの中の青空

#16 新たな一歩

 あのパーティーから数日が経ち、Fitsはメディアパーソナルの傘下となり、社長に赤堀が就任した。
 共同経営者だった瀬戸ら創立メンバー4人は意見の食違いから独立し、小説や絵本など自費出版も扱う会社を創立することとなった。

 夜のオフィス、残務処理を終えた瀬戸が、最後まで残っていた奈津にコーヒーを差し入れた。
 奈津は寂しげにありがとうと受け取った。

「奈っちゃん、この前のこと考えてくれた?」
「――ええ。瀬戸さんの気持ちは嬉しいけど……やっぱり私、ここへ残るわ」
 それは、独立への誘いの返事だった。
「またアイツに従うのか?」
「編集長とは関係無いの。彼は、私が居なくても大丈夫だから」
「だったら気兼ねすること無いじゃないか。ここじゃ不本意な雑誌を作らされるだけだぞ」
「……そうね。でも、どんな記事でも心をこめて書けば、きっと分かってくれるって信じたいの」
 赤堀の作家魂のことか――と瀬戸は思った。
「残念だな。でも、見切りをつけたらいつでも来いよ、俺たちは待ってるから」
「……うん」


 そのころ田中家の食卓では、幸介と環の間で一悶着起きていた。

「またお見合いの話か? いい加減に諦めろよ」
「そんな堅苦しいことじゃないんだってば。師範の姪っ子さんが兄貴のこと気に入っててね、一度食事でもって」
「だからデートだろ?」
「嫌いなの? 静香さんのこと」
「嫌いも何も、師範のお宅で一度お目に掛かっただけだ。顔も覚えてないよ」
「可愛い人だよ、お人形さんみたいに。兄貴のタイプじゃないかな」
「いい加減だな、こっちの気も知らないで」
「いつまでも振られた人のこと思ってても仕方ないじゃない。未練がましい男なんて最悪だよ」
 幸介はご飯をのどに詰まらせ、慌てて味噌汁を飲み込んだ。
 環の言うことは、図星だった。

 幸介はパーティーの翌日、奈津に謝ろうと蒸し風呂のような暑さの中、何時間もFitsのオフィスビルの前で待っていた。
 だがいつまでも出て来ないことに不安を感じ、オフィスまで覗きに行こうとしたそのとき、バッタリ近子と会ってしまった。
 近子はパーティーでのお礼だと言って奈津を電話で呼び出すと、強引に幸介と替わった。
 だが、彼女の声は素っ気無く、忙しいから、とだけ言って切れてしまった。
 奈津は、完全に心を閉ざしていた。

 そんな悲しさを隠し明るく振舞っていた幸介だが、環には全てお見通しだったのだ。情けなさと心配をかけた詫びる気持ちとでいっぱいになった。

「今度、一度会ってみるかな。相手にガッカリされるかも知れないけど」
「兄貴ッ」
「師範は俺たちにとって親も同然だし、静香さんとはいい友達になれたらいいな」
「うん、そうだね」


 奈津が仕事に一区切りつけ帰り支度を始めていると、突然部屋全体が明るくなった。
 驚いた奈津が振り向くと、高級ブランドに身を包んだ赤堀が立っていた。

「明彦……どうしたの? 仕事?」
「いや、車で通りかかったら明かりがついてたんで寄ったんだ」
「そう……。ねえ、夕飯はまだ?」
「ああ、夕方軽く食事しただけだ」
「だったら付き合ってくれる? 大事な話があるの」
「俺も話したいことがあったんだ、行こう」

 奈津と赤堀は久しぶりに個人的な会話をすると、いつもの高級フレンチレストランへと向かった。
 奈津は車中の間、明彦の横顔を窺いながら、彼の話が何かを想像し不安と戦っていた。

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