#18 ふたつの日曜日
日曜日の朝、鳩の公園に奈津の姿があった。
明彦と不本意な別れをしてから数日、奈津は仕事にも身が入らず、夜も眠れない日々が続いた。
明彦の突き放した態度と、近子の「あなたの役目は終わったのよ」という言葉が頭から離れず、奈津は心のバランスを失いかけていた。
そこに追い討ちをかけるように、仕事でも奈津は追い詰められた。
* * * * * * * *
「野中さんしか相談できる人がいないんです。みんな編集長の腰ぎんちゃくで、このままだとヤラセは黙認されてしまいます」
かつてコンビを組んでいた男性編集員から、人気の連載ブログは仕込みだと打ち明けられたのだ。
奈津は恐れていた事態に、正面から編集長に抗議した。
が、それは会社の反感を買うだけの結果に終わり、奈津は営業部への異動を告げられた。
それでも引き下がれない奈津は、もう一度編集長に掛け合おうとしたが、そこに近子の横やりが入った。
「野中さん、これは社長命令なのよ。おとなしく従ってもらわないと困ります。それに、あなたの替わりならいくらでもいるんですから」
近子のさげすんだ態度は、奈津の理性を狂わせた。
バシッ!!
奈津は周囲の目も気にせず、近子の頬を叩いた。
「あなたのデマカセならもうたくさんッ。これ以上私たちを振りまわすのはやめて! でないと、私だって黙ってないわよ!」
奈津は感情的に声を荒げた。
そのとき、近子の口の端に笑みがもれた。
「もっと賢い人だと思ってたのに、残念ね」
奈津は近子の挑発を無視するように、部屋を飛び出した。
* * * * * * * *
昨日の悪夢を振り払うように、奈津は激しく頭を振ってベンチに腰掛けた。
今日、明彦が出張先から帰ってくる。彼ならきっと会社に寄るはずだ、と奈津はオフィスで待つことにした。
が、辞表を出す覚悟はできていても、真実を確かめる勇気までは持てなかった。
奈津は目の前の鳩たちを眺めながら、無心になれたらどんなに楽かと、何もかも投げ出したい衝動に駆られていた。
正午前、環のバイト先であるミリオンに、スーツ姿の幸介がやって来た。
「いらっしゃい。今日はバッチリ決まってますね」
「ええ。家にはうるさい小姑がいますから」
幸介はチラッと環を見て、マスターと向かい合うようにカウンター席に座った。
そこへオーダーを運び終えた環が戻ってきて、満足げに幸介を眺めた。
「これで兄貴も少しは男前に見えるわね。こんなチャンス滅多に無いんだし、上手くやりなさいよ」
環が冷やかすように肘で突つくと、幸介は困惑したように苦笑した。
カランカラン――
ドアベルが鳴ると、環とマスターが一斉に振り向いた。
「あ、静香さん、いらっしゃい」
環の言葉に、幸介も慌てて振り返った。
そこには、白いレースのワンピースにカーディガンを羽織った、華奢で可愛らしい女性が立っていた。
「こんにちは、約束より早く来てしまって申し訳ありません。でも、早く幸介さんにお目にかかりたくて」
はにかんだその笑顔は、初恋の女の子に似ていた。
「さあ、どうぞ。ゆっくりして行ってくださいね」
環が席に案内すると、静香は複雑な表情を浮かべた。
「私、見たい映画があるんですけど、幸介さん、付き合っていただけます?」
「えっ? はあ、いいですよ」
彼女に見入っていた幸介は、唐突な誘いに慌てて返事した。
「じゃあ」
「ん?」
幸介も、環もマスターも目を丸くした。まだ来たばかりだというのに、静香は店を出る姿勢なのだ。
「静香さん、何か飲んでいきませんか? 特に当店のコーヒーはお勧めなんですが」
マスターが気を利かせたつもりで言うと、
「私、コーヒーは苦手なんです」
とつれない返事が戻ってきて、気まずい空気が流れた。
「兄貴、お茶なら外でしたら? 映画館の時間だってあるし、また今度寄ればいいじゃない」
「ああ、そうだな。じゃあ、今日は映画を見に行きましょうか」
「はい」
静香は店の二人に笑顔で挨拶すると、馳せるような足取りで店を出た。
幸介は彼女の意外な一面を見た気がしていた。
* * * * * * * *
「今日の幸介さん、とても素敵だから見違えました」
店を出た途端、静香が幸介の腕に手を回してきた。
「私、恋愛は誰にも邪魔されたくないんです。今度会うときは、どこか秘密の場所にしましょうね」
あどけない笑顔からは想像できないほど、彼女の言葉は刺激的だった。
(これが、恋の始まりなのか――?)
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