水たまりの中の青空
#21 偶然と必然 幸介はバイクを止め、渋い表情で書留の封筒を取り出した。 (すぐそこに居るんだな……) 絶交された相手だった。だから二度と笑顔で会えるはずなどない。なのに楽しかった思い出ばかりが頭を過ぎり、手を伸ばせば届きそうな気がした。 (ほんと馬鹿だよな、騙しておいて……) 幸介はヘルメットの頭を拳骨で叩くと、小走りにビルへと入って行った。 その頃奈津は、重い足取りで編集部を訪れていた。 「野中さん、社長から伝言です。出社されたら社長室に来るようにと」 編集員は皆外出中で、留守番の女の子からの伝言だった。かつて近子が担当していた役目だ。 奈津は昨日の電話を思い出し、もしかしたら明彦は辞意を思いとどませる気なのでは、と思った。 だが社長室の前まで来ると、奈津の気持ちは揺らいだ。 彼の仕事をしているときの眼差し、励ましてくれたときの笑顔、声、しぐさ――思い出すと、胸が詰まりそうになった。 奈津はひとつ深呼吸をし、目をつぶり、気持ちを落ち着かせた。 (おかしいわ……) 外出するなら、バイトの子に伝えるはずだ。 が、単に忘れられたのかも知れない、と奈津は自分の自惚れを恥じた。 ガチャ―― 中にある社長室の扉が開く音がした。 居る――! きっと近子が社長室から出てきたのだろう、と奈津は思った。 「失礼します」 部屋に入ると、なぜか秘書室の電気が消えていた。 (どうして――?) 奈津は妙な胸騒ぎを覚えた。 そのとき、秘書室と区切ってある社長室のドアが少し開いた。 「あっ」 それは奈津が先だったか、近子が先か。二人の驚きの声だった。 近子は上二つのボタンが外されたブラウスを手で止め、もう片方の手で乱れた髪を直しながら出てきた。 「うそ……どうしてっ……」 奈津はうわ言のようにつぶやきながら、後ずさりして部屋を飛び出した。 奈津が去ったあと、近子は奈津が落としていった辞表を拾い、無表情のまま椅子に腰掛けた。 「もう終わりね、奈津」 わずか一ヶ月ほど前、婚約という幸せの絶頂にいた奈津だった。 (助けて!) エレベーターまで無我夢中で辿り着いた奈津は、工事中の看板に力尽きたように崩れ落ちた。 「ハア、ハア――」 * * * * * * * * 奈津が今聞いている荒い息は、幸介のものだ。 「ひえー、とんだハプニングに見舞われちゃったな。今度、ジョギングでも始めるか」 幸介はフラフラになりながら、エレベーターの前を通って入り口へと向かった。が、その足は途中で止まった。 (奈津さん……) 目の前で、壁に寄りかかってしゃがんでいる女性は、紛れも無く奈津だった。 そして奈津も人影に気づき、ゆっくりと顔を上げた。 「――っ!」 奈津は絶句した。 そして幸介も、ガチガチで声が出せなかった。 奈津は戸惑ったように立ち上がると、慌てて階段を駆け下りた。 「待って、奈津さん!」 幸介はとっさに叫ぶと、気が気でない状態で仕事を片付け、急いであとを追った。 (何があったんですか? 奈津さん――!) |