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水たまりの中の青空

#28 意外な伝言

 幸介にとって期待していた奈津と過ごすクリスマス――は夢と終わり、年末に向け忙しい日々に追われていた。

 そして今夜も仕事を終え局舎を出ると、落ち着かない様子で天を仰いだ。

 (今夜は道場の忘年会かぁ……)

 幸介は顔を出す約束をしていたが、最近環には内緒で寄り道している場所があり、そちらに行けないと思うともどかしさで一杯になった。

 昨晩、環から忘年会に静香が来ることを知り、彼女に謝るいい機会だと参加することに決めた。
 だが、どちらにも行きたい幸介は、いざという時のため仕事で一次会は無理かもしれないと予防線を張っておいた。そして何かあれば、家の留守電にメッセージを入れておいて欲しいと頼んでいた。

 幸介はやはりどちらとも選べず、まず妹からの伝言がないか確認することにした。
 案の定、二件のメッセージが入っていた。

「兄貴、お疲れ。二次会は駅前のカラオケ屋に決まったよ。静香さんも来るってさ、じゃあ、待ってるからね」

 (カラオケか、みんな好きだから、あとから顔出しても間に合うな)

 幸介はホッと胸を撫でおろした。
 そして続けて二件目の再生が始まった。

「もしもし、沖縄のツアーで一緒だったカジです。もし野中って名前に心当たりがあったら、至急連絡をくれ」

 そう言って男は、携帯の番号を告げて電話を切った。

 幸介は辛い思い出とともに、ある男の顔を思い出した。お見合いツアーで一緒だった、ホスト風の男だ。
 でも、なぜ今ごろ彼女の話をしてきたのか――?

 幸介は二人のよからぬ想像をしてしまい、自分を責めるように何度も頭を叩いた。

「でも、奈津さんに会えるかもしれない、やっと……」

 幸介は嬉しさでいっぱいになった。


 幸介は早速梶に連絡を取り、彼の伝えてきたBARに向った。早く奈津の手がかりを知りたかったが、来てから話すとはぐらかされ、そこまでの道のりはじれったくなるほど遠かった。

 そして幸介はやっとその店を見つけ、無我夢中で飛び込んだ。店内は狭く薄暗いワンフロアーで、客はまばらだった。

 すぐに目に付くカウンターに、あのホスト風の男がいた。いや、彼はバーテンダーだった。
 そして、カウンター席に一人で座ってる女性に目が留まった。

 (奈津さん――!)

 俯き髪を掻き揚げた横顔だったが、幸介にはすぐに分かった。前に別れたときよりさらにやつれて見えたが、今度は派手な化粧ではなく、幸介のよく知っている奈津だった。

 幸介は奈津の後ろを通り過ぎると、彼女から一番離れた席に座った。

「いらっしゃい。やっぱりアンタだったんだな、幸介さんて」
 梶は幸介を見るなり、いきなりそう切り出した。
 幸介は話が見えず「は?」と聞き返した。

「実は、以前にもこの店に来たんだ彼女。そのときも俺の顔に気づかないほど酔ってた。アンタ覚えてるか? 編集長っていういけ好かない男」
 幸介には忘れたくても忘れられない人物だ。いけ好かないという言葉を彼が使うのも変だと思ったが、とにかく「はい」と答えた。
「たぶん、あいつにふられたんだ。あの男、かなり執念深い奴だと思ったが、切り捨てるときはあっさりしたもんだよ」

 吐き捨てるような梶の言葉に、幸介はやはりと感じていた。悲しそうな彼女の背景には、いつも赤堀の存在が見え隠れしていたからだ。

 (それほどまでに赤堀さんのことを愛しているんですか? 忘れられないほど――)
 幸介は苦しそうな奈津の姿に、悲しくなった。

「でも、彼女が酔いつぶれたとき、ふと漏らしたんだ。「幸介さん」ってね。もしかしてって思ったよ。アンタ、彼女のボディーガードだったもんな」
 そう言って、梶は幸介の前にカクテルを置いた。
「俺からのサービス。彼女のことよろしく頼むよ。ま、俺が言えた義理じゃないけどな」
 幸介は不思議な気分だった。ツアーのときは憎いとまで思った相手なのに、今は同士のように思える。人の縁というものは、分からないものだ。

「とにかく酒は止めさせたほうがいいぜ、このままじゃ廃人になっちまう。それに、今夜は一人だが――」
 梶は急に言葉を濁した。
 幸介は直感した。前回は男性と一緒だったのだろうと。だから連絡できなかったのかも知れない。
「――分かってます。僕が必ず彼女を守ります」
 その言葉に、梶が頷いた。

 そのとき、奈津がふらっと立ち上がった。


 奈津は心もとない足取りで店を出ると、外の雨に驚いたように近くの軒下に隠れた。
 奈津に続いて出た幸介は、突然のことで対処し切れず、思いっきり彼女の前に姿をさらした。

 あっ―― (まずい) 

 どうしてこうドジなのかと、幸介は情けなくなった。

 やはり奈津は驚いた表情で幸介を見ている。それも、少し責めるような目で――

「……つけてたの?」
 たじろぐ幸介に、奈津の言葉が鋭く突き刺さった。確かに、彼女が家に着くまで見届けるつもりだった。それは彼女の家を突き止める行為でもあった。

「私の気持ちは、病院に行かなかったことがすべてなの。もう、何も言うことはないわ」
 奈津の言葉は素っ気無く、淡々としていた。でも、その表情は悲しそうで、それが幸介には気になった。

「――体調のほうは、大丈夫ですか? ずっと、それが気になってたから」
 幸介はびしょ濡れになりながら尋ねた。

 奈津はずっと黙っていたが、耐えられない様子で雨の中を飛び出して行った。

 だが足元がふらついてる奈津に、あっという間に幸介の足は追いついた。幸介は奈津を捕まえると、とっさの判断で目の前のカラオケボックスに入った。

「風邪引くと、いけないから……」

 奈津は一瞬幸介を見て、目をそらした。でも掴まれた腕は、抵抗をやめていた。幸介は少しホッとした。

*  *  *  *  *  *  *  *

 二人は若い女の子の店員に案内され、小さな個室に入った。
 だが二人とも敬遠し合い入り口に立っていると、店員が遠慮がちにドリンクの注文を聞いてきた。
 幸介はたどたどしく「ジュース、オレンジの……」と答えた。
「お二人ともですか?」と店員が聞くので、幸介はちらっと奈津を見た。すると奈津は「ええ」と小さな声で答えた。
 店員は「ごゆっくりどうぞ」と、二人の間を遠慮がちに通り過ぎ部屋を出た。 

 幸介は寒気か緊張からか、体がブルブル震えだした。
 そんな幸介を見て、奈津がカバンからハンカチを取り出し、そっと差し出した。

「そんな、もったいないです」
 幸介は慌ててテーブルのおしぼりを開け、顔を拭いた。すると、その肩を奈津のハンカチが優しく撫でた。

 幸介は溢れそうな涙を必死で堪えながら、また心が通じ合えたと思い、ぐっと喜びを噛みしめていた。

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