BackTopNext

 

水たまりの中の青空

#35 おでんと幸せな夜

 まだ眠りの中にある東京の外れに、奈津を後ろに乗せた幸介のバイクが戻って来た。
 幸介は奈津の家を尋ねるため、休憩を兼ねてコンビニの駐車場にバイクを止めた。

 そしてエンジンを止めヘルメットを外すと、後部座席の奈津もヘルメットを取って髪を掻き揚げた。

「大丈夫ですか? 奈津さん」

 幸介は奈津の身体を心配したが、奈津は「ええ、大丈夫」と楽しげに答えた。
 逆に幸介の身体を気遣う奈津に、幸介はバイクを降り、元気満々というポーズをしてホッとさせた。

 二人は少し寒そうに身をかがめながら、暖かい店内へと入った。
 そして入った途端、食欲をそそるおでんの匂いが漂ってきた。
 「ぐ〜ぅ」と二人の腹の虫が鳴り、お互い顔を見合わせ吹きだした。

「ちょっと腹ごしらえしませんか?」
「そうね」

 二人はおでんの前へ行き、美味しそうに鍋の中を覗いた。

「奈津さんは何が食べたいですか?」
「私は大根とちくわにしようかな、幸介さんは?」
「じゃあ、僕はじゃがいもとタマゴで」

 幸介はカバンを開けた奈津を静止し、店員におでんと肉まん二つを注文した。

 奈津は幸介の気持ちをありがたく頂戴し、代わりに飲み物を二つ購入した。
 こんな他愛ない出来事が、今の奈津には心に染みる喜びだった。

*  *  *  *  *  *  *  *

 二人は幸せ気分に浸りながら店を出ると、バイクにおでんと肉まんを乗せ、ホットコーヒーで乾杯した。
 両手で缶コーヒーを握り夜空を見上げた彼女を、幸介は独り占めしてるようで、何だかワクワクした。

「ねえ幸介さん、さっき出発するとき、何て言ってたの?」
「えっ?」

 突然振り向いた彼女は、思わず恥ずかしくなるような事を聞いてきた。幸介は顔から火が出そうになり、しどろもどろになった。

「あっ、あれ? 何だったかな?」

 動揺を隠すように、幸介は肉まんを頬張った。
 奈津は彼の慌てぶりに、少々驚いた。

「凛々しい顔してたから、何か特別なことを言われた気がしたの……馬鹿ね、私って」
「いやァ……」

 幸介は溜息混じりの声を出した。せっかく勇気を出して言った言葉が、無念にも届いていなかった。
 ホッとするより、奈津がその言葉に喜んだかもしれないと思うと、ちょっとガッカリした。

 そんな幸介の気持ちを知ってか知らずか、奈津はさりげなく言葉を加えた。

「言葉じゃなくても、幸介さんから伝わる気持ちが、何より一番嬉しいんだけど」

 幸介は時々、奈津の言葉に救われた。まるで心を見透かされたように、彼女はフォローの言葉をかけた。それが嬉しくて、思わず抱きしめたくなる。でも彼女のやわらかい横顔を見ていると、このまま眺めているだけで十分だった。

「ねえ、温かいうちに食べない?」

 おでんの香りと、奈津の笑顔に見つめられ、幸介は顔をほころばせながら頷いた。
 そして奈津はちくわを、幸介はじゃがいもをそれぞれ摘まみ、仲良く口に運んだ。

「おいしいー」

 二人は同時に声をあげた。二人の笑顔は、今、幸せに包まれていた。

*  *  *  *  *  *  *  *

 全部食べ終わり、お腹もいっぱいになった二人は、帰りの準備を始めた。

「これから奈津さんの家まで送らせて欲しいんですけど、場所はどの辺りですか?」
「親切にありがとう、疲れてるのにごめんなさい」
「遠慮は無用ですよ。僕達はその……恋人同士なんですから」

 奈津は少しはにかむように笑った。

「そうね、でも送らせて欲しいって言うのは、ちょっと他人行儀じゃない?」
「あ、それもそうですね」

 幸介は照れながら頭を掻いた。
 そんな純情な幸介を、奈津は微笑ましく見つめた。そして細かい住所と大体のポイントを伝えると、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「目黒ですね、分かりました。じゃない、分かった」

 慌てて口調を変えた幸介に、「無理しないで」と奈津は笑った。

 それぞれバイクに乗ると、幸介は自然とある言葉が口から出た。

「しっかり掴まってろよ」

 今度は奈津もヘルメットをつける前で、はっきりと聞こえていた。彼女は嬉しそうに頷くと、幸介は満足げにヘルメットを被った。

 心なしか、さっきより奈津の体が強く当たっている。ドキドキと伝わってくる鼓動は、自分のものか、それとも彼女のものか――分からないほど、体が火照っていた。

 幸介はエンジンをかけると、再び彼女とのささやかなツーリングに出発した。

BackTopNext